GREZ, YOKOSO

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Elèves japonais rue KURODA Seiki

 

ガティネ地方のグレー美しいグレー村はロワン川の左岸にそって優雅に長く伸びている。昔はヌムール公爵領の中の重要な町だった。現在はヌムール小郡の人口約1500人の村である。
グレー村は面積1297ヘクタールと規模は小さいが、歴史はとても古く、すでに先史時代には人が暮し、季節になるとトナカイがドルドーニュからスカンジナビアへ通過する道だった。
ロワン川の左岸にガローロマン時代の大規模な家が発見されたが、その後再び土で覆われた。一方1885年に小学校の校庭でガローロマン時代の石棺が発掘されたが、その場所は昔小修道院の回廊があった所で、現在は市役所の中庭である。

中世のグレー村は王の道とロワン川の間を占める重要な位置にあり、パリに向かう木材、グレーの石材、ワイン、穀物などの商品が通過する道だった。村は北側のパリの門と古い石橋を指揮する門によって守られていた。
古い中世の村の重要性を証明する名残は、3つの建造物と今でも村の中心部に見られる丸天井と石段のある地下貯蔵室である。

ロワン川を渡ることはいつの時代も必須だったので、これら記念建造物で一番古いものは石の橋である。全体的構造はパリのポン∙ヌフを思い出させる。だからこそクリストはポン∙ヌフを‟ 包む ”前に、パリ市の市会議員達をより納得させるために、グレーの石の橋を‟ 包んで ”実験”している。波乱に満ちた歴史の中でこの橋は何度も甚大な被害を受けたが、常に次の世代の人々が橋を元の状態に修復し、第二次大戦後も再度修復している。
橋の起源は他の歴史的記念建造物と同じく12世紀である。

ガンヌの塔はルイ6世肥満王(1087 – 1137)がブルゴーニュとシャンパーニュに対抗するため、イル∙ド∙フランス地方防御の防衛線に参加した11世紀から12世紀にかけて建築されたものである。

グレーのノートルダム=サンローラン教会は、サン∙ジャックの門のすぐ近くで昔ゴロワの神殿があった場所に建立されたらしい。建築はフィリップ尊厳王の時代の1180年頃で、‟ 百合の花 ”が王家の紋章に採用された時でもある。百合の花が刻まれた里程標は、現在でも旧国道7号線に沿って見る事が出来る。威厳と厳格さを備えた百合の花の形は、シトー派に属するプレモントレ修道会から取入れたものである。

グレーが主として外国人の画家達を迎えたのは19世紀のことである。彼らは‟ 写生をする ” ために、後にペンション∙ローランと呼ばれるオテル∙ボーセジュールやオテル∙シュヴィヨン、又は個人の家にに逗留した。この伝統は20世紀初めまで続く。
グレーの橋を最初に描いた一人はカミーユ∙コローらしい。その後ジュイゼッペ∙パリッズィ、浅井忠、ロデリック∙オコーナーやカール∙ラーッションなど多くの画家が続く。
スカンジナヴィア人、アメリカ人、イギリス人、イタリア人、日本人、またはジュール •バスティアン – ルパージュ、ジャン – レオン•ジェローム、ラファエル•コラン、カロリュス•デュラン、ウィリアム•ブーグローの生徒達、彼らはフランス滞在中にアカデミー∙ジュリアンや、アカデミー∙コロロッシにも通い、グレーからジヴェルニーやポンタヴェンに向かって行った。
芸術家達間の口コミが功を奏しグレーに頻繁にやってきたのは、画家達だけではなく作家や音楽家、彫刻家達もいた。
鑑賞に値するグレー市所有の素晴らしい美術コレクションは、 この文化財により相応しい場所が出来上がるまで、現在市役所に展示されている。